私たちは導かれている。

 

その時はわからなくても、確実に導かれている。

 

そして、全ての起こる事に意味があり、ある時繋がり、結ばれる。

 

伏線で進んでいること、水面下で進んでいること、

 

渦中の時には気付けなくても、あるんだよ。

 

一人一人の人生はまるでドラマのように進んでいる。

 

その瞬間、全身で感じたものにも意味があり、細胞に記憶されていく。

 

言語化できなくても、脳は忘れても、身体は覚えている。

 

あの瞬間感じたものは、絶対だ。

 

自分の人生で起きること、出逢う人、そして自分自身の内側で起こることに全幅の信頼を置いて…

 

目の前の一日を味わおう。

 

 

 

 

(ちょうど1年前の壱岐旅を経て、今思うこと。)

 

 

 

2018年10月 仲間のひとりが贈ってくれた壱岐旅。

「こあさんに行ってほしい。こあさんが行かないといけない気がする。私も行きたいけど子育てで行けないから、行ってきてほしい。」と。

あれから1年。

かなり濃密な1年だった。

あれが、なければ、今はない。

その時、知覚できるもの、

言語化できるもの。

 

 

 

それを受け取れたのは、取りも直さず、信頼していたから。

それまでの、その人とのストーリーで多くをわかちあい、私は受け取ることを学んだ。

決して常に等価交換ではない。

「与えることは、受け取ること」

「受け取ることは、与えること。」

 

「この人に喜んでほしい」その一心で届けたい人がいる。

「何かしたい。」

「何かチカラになりたい。」

「応援したい」

「笑顔がみたい」

そこにある思いは人それぞれだけれど、共通するものは一切の見返りを求めない

計算のない、純粋な愛。

 

実際、この後も何も言ってこなかった。

ただただフラットに。

これまでと何ら変わらずに、とても心地いい関係性はいまなお続いている。

 

そこに、打算や計算があれば

私に何かを求めるエネルギーがはたらき

私も何か返さなきゃと意識することになり

それまでの心地いい関係性は崩れただろう。

 

でも、それが一切なかった。

 

 

気持ちいいほどに

何ら気にしていなくて

何ら求めてなくて

「行って欲しい」

「行ってくれた」その時点で、喜んでくれた。

その時点で完結していた。

「受け取ってくれてありがとう」とそれだけの思いが伝わってきた。

 

 

大人になって、こんなにも信頼できるつながり

お互いの立場を超えて、

まさにお互いの目線で分かち合えて、笑い敢えて、

深い領域でシェアすることができることを光栄に思う。

 

 

昔、高校の先生が言った

「大人になったら、友達はできないものだ。だから、学生時代の友達を大事にしなさい」

 

とんでもない。

全然、そんなことなかった。

 

 

私は、日が経つごとに生きやすくなっている。

年々、幸せが増している。

呼吸が深まり、しぜんと笑うことが増えたよ。

 

子どものように

無邪気に笑えること

愛する人たちと通じ合えるもの、囲まれるひとときに永遠を感じているんだ。