母に誘われ、とある自然食レストランへ

車で30分

完全予約制。オーガニックで丁寧に作られたお料理。

入れるのは3組だけの、小さなお店。

少し早めの時間に予約したからか、貸し切りで、ちょうど出るときに他のお客様が来店された。

春らしい、緑ゆたかな景色に

ゆっくりとした時間が流れる。

私の眼はまだすべて開かず、視界は限られている分、いつも以上に他の感覚が鋭くなっていた。

自宅で安静にしているときは、ある種守られた環境で刺激も限られているが、こうして外に出ると、これまでとの違いに気づかされるのだ。

ヨガを始めたころから、しばらく玄米ベースで食していたが、ここ数年は自然に欲するものをいただいていた。
思考で食するのではなく、体の声。体の選択。

どの世界も、要はバランス。
宇宙もバランスをとりながら、いまこの瞬間を成り立っている。成り立たせている。

人も同じ。
何かひとつに偏ることなく、いくつかの融合のなかで、その人にとってのベストポジション・<真ん中>を選んでいく
そのときのバランスで<ある1点>に存在する
その一瞬一瞬の連続なのだ。

もちろん、<極める>ことが悪いことではない
何かを極める中で、対象を深め、自身が深まり、それを他へと応用・展開させながら
世界<自身が生きる世界>を理解していく

理解することで、視野が広まり、世界も拡大する
世界が大きくなった分、逆に<真ん中>も定まる

両極を知るからこそ、中庸がわかるようになる
様々なことを経験し、その円周が大きくなるほどに、ピンポイントに中心が見える
的を得るようになるのだ

バランスをとれるのは、アンバランスを知っているということ

最初からバランスをとることを目指す必要などなく
それまでのアンバランスにも思えるプロセスも含めて、バランスなのだ

あれこれと経験することでしか、知ることなどできない
真の意味で、理解できない

ゆえに、経験こそ宝

この世界は、必ず、その人にとって必要なものを必要なだけ用意されている
めぐりあう
もたらされる

だからこそ、人と比べる必要はない

いま、目の前を見てみよう
いま、周りを見てみよう

あなたにとって、たいせつなエッセンスが宝石のように埋め尽くされている

そこに何を見て
何を感じ
どうするかだよ

話を戻して、私も食ひとつとっても、さまざまに経験しながらここまできた
思考ではなく、体の声でいただくこと
食や食事の時間を大切にして、喜びの時間とすること

それが、2021年3月までの、私のバランスだった

でもここにきて、さらに、エネルギーをダイレクトに感じるようになった

今日、いただいた玄米がおいしくて、やさしくて、全細胞がよろこんで、心底満たされた
ほんもののバイブレーションだった

やさしく、大切にされ、愛を知っているもののバイブレーションに触れると
理由のない説明できない涙が出そうになる

心は満たされ
体は自然と整う

一粒一粒のなかに、宇宙がある

一粒一粒が、宇宙

わたしたち人も、宇宙の一部

そんな<融合>であり、<再会>なのだ

あとは、ハーブ鶏のから揚げが美味しかった
1つ1つ麹につけて、天然椿油で揚げるそう

どのプロセスにも、愛がある

美味しいね
とつぶやくたびに、視線を感じた

キッチンから作ってくださっている奥さんだった

いろいろな話になり、開店までのストーリーをうかがった。
以前、有名な大きな自然食ビュッフェのレストランを経営されていたのを閉店されて、次の店を出して、地震を経て、今の店へ。
大きな店の時に、よくうかがっていたので、とても懐かしかった。

大好きだったんですよと言うと、喜んでくださりながらも
<食を大事にして、元気になってほしい、健康であってほしい>と思いかなりこだわっていい素材で妥協なく美味しい料理を提供したけど
実際には、様々なお客様がいらっしゃって
隠し持って帰るご老人や、人数分オーダーせずシェアしてルールを守らない人や、若い母親からのクレームの電話などで心折れることもあった。

自分が、病気を機に食の大切さや食事のもつ力を知り、始めたけれど、実態としては、それを継続できなくなったとのことだった、

その後、店を若い人に譲り、夫婦で再スタートしたレストランも、震災なども紆余曲折を経て、
<どうすれば、自分たちの表現したいことができるか>と問い続け、出た答えがこの店なんです

と話してくださった。

<表現したいこと>か。。。と刺さった。

そこには軸があり、世界観があり、哲学があった

経営やビジネスという観点のみなら、いくらでもやり方があり、セオリーがあり、成功法則があるのかもしれない。
でも、それがしたいわけではないのだ。

つまり、第一の目的が、自分が裕福になることであったら、当然、利益重視となり、利益を得ること以外のことや、利益を得ること以上の無駄なことはしないだろう。
なるべく楽を求めて、味も、素材も、二の次
とにかく、客を集め、その場を一時的な快を提供し、その対価を最大化する図式になる。

おかねの対価になる快楽であれば、どんなものでもいい
極端な話、おかねを払ってもらえればいいと
せっかく自分が体験し、知っていることを、形にして提供するのではなく
表面的でインスタントな形であっても、対価になる自分たちにとって便利で都合のいいものを提供する
そこに、多少の妥協やごまかしは仕方ない

悲しいかな、現在の日本の食事情、ビジネスはそれが主体だ

でも、オーナーさんの目的はそれではなく
<ほんものの食で元気になってもらいたい>という思い

そんな誰かにより形作られ、導かれた、<既存の枠>に収まり、その中で利益重視で裕福になりたいのではない

揺るがないコア、核にあるものを諦めて、本意ではないことを継続するか?
あくまで、根底にある思いを表現することを軸にやっていくのか?
そのせめぎ合いの中で、答えを出しながら、進んでこられたということが伝わってきた

母が聞いた「失礼ながら、利益はないのではないですか?」

とにかく、素材がいいのがわかる
さらに、ボリューミイ
え?まだ出てくるの?と思うほど大盤振る舞い。
質と量に対して、お値段が安すぎたのだ

はい。お給料は2人で○万円です。<学生がアルバイトよりも安い一桁の額だった>
でも、自分たちの給料なしなら、できますから。
こうして、今日そんな風に天使、マリア様のようなことを言ってくださる方に喜んでいただけただけで嬉しいです。

なんだか、申し訳なくなったし、これでいいはずはないと思った
もっと、やりようがあるし、工夫できることたくさんある
本当にいいものを、妥協なき形で表現することを尊重できる人の力を借り、改善したらどうだろう?と思った

でも、それは私のエゴ

お二人には、お二人の考えがあり、ベストな形としてやっている
そう<ご本人が>感じ、選択され、実践されている限りは、それがベストであり、周りがとやかく言うことではない

むしろ、そこから学べるものがあり
そこから学べということ
ゆえに、導かれ、その話を伺ったのだ

と、同時に、<本人が表現したいことを最大化し、提供側・享受側・世界の三方よしを実現すること>を援助できる人物になろうと誓った。

なぜなら、こんなにいいもの、すばらしいこと、すてきな人が最大限活きる・生きる世界にしたいから。

唐突だけど、そんな熱が湧いてきた。

でも、実際、全部つながっている。
これまでも、それに通じることばかりやってきたし、結局、私の根底にある思いはそこなんだよな

あきらめる人を見たくない
本来、できるのに、できないと思い込んで、世の中こんなものだと、命を発揮することを忘れたひと、
持っているものに気づかないまま、眠ったままの人
あるのに、ないものしか見ずに、与えられた人生を希望なく生き、自分を生きていない人

自分も痛いほど味わい
それで摸索している人や苦しむ人をたくさん見てきたからこそ
そこにスイッチが入る

今日の出逢いとなにげないやりとりが、そのことも、思い出させてくれた

最後に

どんな分野でも、思いを形にするのは、魔法のようにはいかない
様々なストーリーがあり、それを経て、展開していく

それが生きるということだし、私たちは自分で設定してきたテーマにそって生きながら
その経験の中で、らせん階段をのぼっているんだけどね

だから、良い悪いではないし、正解不正解もないからこそ
やはり、自分にとっての道をいくことだと再確認した。

それぞれの軸、世界観、哲学を。