「ありのままでいたい」

「自分らしくいたい」

 

誰もが願う

私ももれなく、そうだ。

 

 

でも、

無意識レベルで「いいとき」しか見せちゃいけない、弱音を吐いたらいけないという思いにしばられ、マイナスなこと、ネガティブなことを伝えないことが多々あった。

 

 

相手のことを思って

読む人のことを思って

価値あるものを

 

それは一見、素晴らしいことのようだけど

不自然だよね。

創られた、人工的なもの。

リアルじゃない。

 

 

 

伝えていて感じるのは

「そもそも、普遍的な価値なんてない」ということ。

 

 

実はこれまでに

なんてことはない話や、

何も意図してない僅か2行の私の言葉が刺さったとか、泣きましたとかメッセージを頂くことがあって

「え???そこ???」と驚いたことがあった。

 

 

自分としては、それで勇気づけようとか全然思ってないし

まさか、これが「価値」になるなんて思いもしなかったこと。

 

 

それでも、

遠く離れた誰かにとって意味があった。

その2行がその人にとって力となった。

という事実を知ったとき

「自分で勝手に判断することで、いかにたくさんの可能性をみずから潰していたかに気付いた。

 

相手にとっても

地球上の誰かにとっても

自分にとっても。

 

アクセルを踏みながら、ブレーキを踏んでいるようなもの。

 

 

これまで、

いかに、自分が勝手に判断していたか。。。

 

これはいい、これはだめ

これはいける、これはたいしたことない

これは価値あるけど、これは全然。

 

etc

 

なんか、嫌だ!!!と思った。(笑)

 

もっと、信じたい。

もっと、やわらかく、やさしく、ひろくいたい。

 

 

 

 

私という人間ひとりの

何十年かの経験により創られた「価値観」「ものさし」による基準、判断。

どれだけ信用できないんだろうと思ったよ(笑)

 

 

 

それから、

自分の考えることをいい意味で疑えるようになった。

 

 

「こう思う。でも、これが全てじゃない。」

「もちろん、そうじゃないかもね。」と思える余裕がでてきた。

 

 

 

完璧じゃなくていいし、

完璧じゃないことなんてあたりまえ

そこをゆるせるようになった。

 

 

 

誰よりも自分を信じ、疑え

 

 

これは、私のすきな映画「新聞記者」でのセリフ。

言葉だけ見ると矛盾しているようだけど、真理だよね。

 

信じている

でも、同時に疑っている。

 

 

「疑う」ということ間違って伝わりそうだから

補足すると

「信じているけど、それが全てではないと知っている。 絶対ではないと知っている」

というニュアンス。

 

 

 

ゆえに、常に改善点があり、伸びしろがあり、成長がある。

どんどん磨かれ、高まり、拡大する。

生きる喜びが増していくんだ。

 

 

 

 

 

そして、同時に知っておいてほしいこと。

それは、

 

 

 

人生にそもそも、偶然はない。

 

 

つまり、人間が思いつくこと・考えることには必ず意味がある。

 

 

 

すべては必然。

だから、

その考え、思い、ひらめき、アイディア、行動、一言にも必然。

必ず、何かの意味がある。

 

 

 

それを勝手に「価値がない」と出すことをしてこなかったのは私です。

よりよく生きたいし

皆であがっていきたいと思っているものの

自ら機会損失を生み出していたことに失望した。

 

 

それって、謙虚さでもなんでもない。

命への冒涜。

だから、自分を否定したり、「たいしたことないです」「まだまだ」と自分の価値を低く見積もったり、自分を下げたり、自分を控える思考やあり方、行動はすべて命の否定、命に対する冒涜。

上に対して唾を吐いているようなもの。

 

 

 

新時代になり、すでに「いい人」の概念も変わったんだ。

 

 

これまでのいい人にとらわれちゃいけない。

それにとらわれて、あなたのその可能性をどれだけ潰しているか、本来の枠を縮ませているか

あなたは気付いていますか?

 

 

「いい人」とは「誰にとってもいい人」でもなければ、品行方正で清廉潔白な人でもない、控えめで謙虚な人でもない、

自分を生きている人

自分を最大限に発揮している人のことをいう。

それが、一番、

1、「本人が幸せ」であり

2、周囲も幸せにするし

3、結果的に、最大限に価値創造できるから。

 

 

 

だから、

 

1、自分で在る

2、自然に湧き出るもの・衝動に突き動かされて出てくるものをそのまま出す、表現する、アウトプットする。

*その時、思考で価値を判断しない。自分の基準で、勝手に操作しない。「自然に湧きあがったもの」は「奇跡の源泉」「可能性の鍵」だから。

 

 

これを是非続けて。

日々、どんな規模でもいい、続けるの。

 

その後、思考であれこれ判断しないで、「自分の小さな頭で」判断せず、即、外に出す(表現する、伝える、アウトプットする)の。

 

そしたら、必ずそれを必要としている人が受け取る。

その人に必要だから、私のインスピレーションとして降りてきたり、頭の中に思い浮かんだり、発想やアイディアが湧いたりするんだよ。

 

 

そこをせき止めずに、出す、出す、出す。

出し尽くす。

エネルギーの循環。

 

自分を通して、誰かに与え、世界を底上げしている

自分を通して、世界に作用し、それがまるごと自分にも反作用として戻ってくる。

 

 

常に「始点」は己にある。

せきとめてない?

封じ込めてない?

 

 

開放し、流そう。

己は筒。パイプ。

その間をどんなエネルギーを通し、循環させるか?

その「質と量があがっていくこと=人生」だから。

 

 

 

 

 

だからね、

こちらのサイトでも、光と影があったら「光」だけじゃなく

強さと弱さだったら、強さだけじゃなく

すべてを出していこうと思う。

 

 

リアルではさらけ出してるし、そんなに隠すこともない。何でも話してる。

でも、こういう媒体は「価値あるもの」を伝えなきゃという考え(=勝手な思い込み)がはたらいて、自分を制限してた。

 

でも、そもそも全てが価値。

リアルが一番。

と思い出して、

たとえば

「弱音を吐くより、前向きなメッセージを。」

「体調崩れたときも、心配かけたいわけじゃないし、あえて言わなくても」のように思っていたけど、

そのリアルストーリーにこそ意味があるんだよね。

 

それに、

「あえて伝えることじゃない」という判断自体が誤りだし、(すべてが誰かにとっての価値になる)

「弱音=×、体調不良=×」という概念を採用し、決めつけていることで、その現実を生みだしていることになる。

 

「弱音を吐く私は価値がない。体調悪いと価値がない」と

その時の現実を否定し、

その瞬間の自分を否定していることになる。

 

それは、違うなと思った。

 

この世界には、あらゆるコントランスとがあるから気付ける。

自分にとっての宝を発見して、冒険していける

 

その冒険はぜーんぶが財産だから。

 

 

 

ということで、

全国のクライアント様、並びに、読者の皆様、

 

弱い私も

体調に苦戦するわたしもお楽しみください(笑)

 

instaより

 

 

 

 

 

身体を扱いきれず苦戦中の現在。これも懐かしく感じるとわかってる。だから、いまを味わい尽くし、感じ、氣が付くことにフォーカスしています。

 

受容って気持ちいい。

受け入れるって、じぶんにやさしい。

すごい心地いいね。